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海外にルーツを持つ若者とつくる、これからの日本社会 - why can't we be friends

  • 開催日:2019年1月19日
  • 会場:ルーテル東京教会

【主催】まちぽっと、高木仁三郎市民科学基金、難民起業サポートファンド
【協力】ビッグイシュー日本、関野和寛氏(ルーテル東京教会)、早坂毅氏(税理士)、濱口博史氏(弁護士)
【後援】新宿区社会福祉協議会
【助成】公益財団法人キリン福祉財団

登壇

横田能洋さん(たすけあいセンター「JUNTOS」)
吉山昌さん(難民起業サポートファンド代表理事)
喜屋武初美さん プロフィール
チョモンスィさん プロフィール
関野和寛さん(ルーテル東京教会牧師/牧師ROCKS)
奥田裕之(NPOまちぽっと) *企画コーディネート

本編

 今回は、外国にルーツのある若者と、その支援を行なっているNPOをお迎えしました。登壇者のチョモさんの実家である高田馬場駅近く「スィゥ・ミャンマー」からミャンマー料理を食べながら聞く、ビッグイシューの販売つきの楽しい雰囲気の企画となりました。

1)お話しと音楽 関野和寛さん


 今回もルーテル東京教会の主任牧師であり、牧師ROCKSで活動するロッカーでもある関野さんからスタートです。

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 教会にも最近いろいろな宗教者たちがやってきて、仏教のお坊さんなんかが「宗教は違うけれど、みんな行くところは一緒です」とか言うんだけど、そういう偽善って大嫌いなんだよね。おれは「国籍は違うけど、みんな一緒」みたいな偽善が許せねえ。国籍はないんだ、みんな単なる「罪人(つみびと)」。だけど、罪人が神の子に戻れるのが教会。

 今日は皆さん、そんなクールな顔なんかしてないで、ビールを飲んで、ミャンマー料理を食べて、この世界で一緒に生きている人たちの話を聞いて、お前らの罪も俺達に聞かせてくれ。曲はレナード・コーエンの「ハレルヤ」。

 あ、いま「ハレルヤ」って歌ったやつ、みんなクリスチャンだから(笑)。

 教会って、ときどき本当の罪人ってやつが来ます。日曜日の礼拝の後に、なぜか長島茂雄とのツーショットの写真を周り中に撒いて「俺が言えば、皇室もソニーの会長も動くから」って話を始めたおっさんがいたので、「出て行ってくれ」って言ったんです。そうしたら内容証明で関野和寛・殺害予告を送ってきたから、すぐに新宿警察署に行きました。

 刑事さんが出てきて「これは殺害予告、脅迫だから今すぐ逮捕できます。どうする牧師さん、こいつ捕まえとく?」っていうから、「ぜひお願いします!」と答えました。「何日間拘留できるんですか?」って聞くと、答えは「5時間」。「・・・5時間後に出てきたらどうなりますか?」ってまた聞いたら、刑事さんは「まあ、牧師さんのところに行くでしょうね」。

 「・・・どうしたらいいですか?」って言ったら、刑事さんは「あなたを、警視庁の特別保護人物にします」と答えました。「特定保護人物ってなんですか?」。「警察に電話が来たらすぐに行きます」。いや、教会の目の前は交番だし。

 警察にやる気がないのは分かった。来たらこのギターでぶっ倒してやるよ。次の曲いくぞ!

2)「外国人支援のあり方について考える-茨城県常総市での取り組みを事例に」 横田 能洋さん(たすけあいセンター「JUNTOS」)


 次はがらっと雰囲気を変えて、横田さんから常総市の活動についてお話しいただきました。

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常総市と外国人労働者

 こんにちは、こんな雰囲気の中で話をするのは初めてです(笑)。茨城県常総市は生活者や子どもの多い街です。茨城県は日系ブラジル人の方、フィリピン人の方、中国の農家の技能実習生も多く、私たちの地域では南米の日系の方が多くなっています。ここでの外国人労働者の仕事は、ほとんどが食品工場です。例えば、コンビニで朝売られているサンドイッチの一部は、ここで夜な夜な日系ブラジル人の方が工場で作っているわけです。

 ぼくは現在の活動を、支援っていうより一緒に生きてきたという感じで行なっています。きっかけは、ちょうど10年前のリーマンショックでした。最初に派遣切りにあったのは日系外国人の方たちで、お父さんが仕事にいけなくなると当時3つあったブラジル人学校の支払いができず、子どもも学校に行けなくなるということを、テレビで見たんですね。 国際交流協会や教育委員会の方たちと一緒に、「子ども達の学ぶ権利を考えましょう」と呼びかけたことがきっかけとなって、ヘルパー講座、履歴書の書き方、日本語講座などを始めました。

 日系の方の場合は、来日すると3日後くらいには工場のラインに入り、その状態で10年、20年過ごしていくということが普通にあって、20年いても会話はできても読み書きができないことが現実です。制度のことや、いろいろな書類の内容が分からないため、国民健康保険を払っていないから給料を刺し抑えます等の書類が突然に来て困ってしまった方と一緒に市役所に行くことが何度もあります。

外国人労働者の子ども支援

 現在は子どもへの支援を中心にしています。例えば、ブラジルの学校には給食はなく、掃除の時間もありません。まして、子どもだけの登校班なんて信じられない。親から見ると、日本の学校は家庭にいろいろなことを要求してくるように見えます。ただ学校のルールを翻訳して配っても、その意味が理解できないんですね。仕事で疲れ果てている上に、その他のことでも親が混乱している中では、誰かがきちんと伝えていかなきゃなと思います。

 常総市のブラジル系やフィリピン人の子どもは、日本で生まれ育っているし、母国に帰る機会もほとんどありません。母国に対する気持ちはあるにしても、おそらく今後も日本で生きていくと思います。その子どもたちが高校に行く事例は増えていますが、進学率はまだ低いままです。

 その一番の問題は、将来なりたい目標が漠然としていることです。例えば、目標とする何かになるためには資格を取る必要がある、そのために高校進学の勉強をしようというような、道筋が見える関わりを子どもたちと持ちたいと考えて活動を続けてきました。

 茨城県全体の小学校の4割、中学校の6割に、何らかの外国にルーツを持つ子どもが通っている時代です。新宿区は、それよりもずっと多いですよね。日本には、移民はほとんどいないという人がいます。考え方に拠るんでしょうけれども、ある方は日本に1年以上居住していたら、それは国際的には移民とカウントするとお話ししていました。そのように考えれば何百万人という外国人ルーツの居住者がいて、日本はすでに移民国家になっています。

 私は、「茨城NPOセンター・コモンズ グローバルセンター」という団体の代表をしているんですが、そこでは外国とつながる子どもの就学支援やキャリア支援、各種相談対応、自治体や学校への通訳派遣・翻訳等に取り組んでいます。今年から多文化保育「はじめの一歩保育園」もスタートしました。

2015年鬼怒川の水害と、「JUNTOS」の立ち上げ

 2015年9月10日、鬼怒川が決壊して常総市に水害が発生しました。ヘリコプターやボートでの救命作業が行われた数日後には、町には災害ゴミがあふれていました。団体の事務所も水没してしまいましたが、気を取り直して被災地の中のNPOとして活動を再開しました。

 その際に、「JUNTOS(ジュントス)」という看板を立てました。ポルトガル語で、「一緒に」という意味です。外国人労働者の方とも復興という同じ立場にたって、課題を乗り越えながらともに助け合い、心の壁をなくしてもっといい町にしたいと考えました。

 その後「JUNTOS通信」というニュースレターや多言語ラジオ番組の制作を行ったり、専門家と協力して保険のしくみなど、さまざまな外国の方の相談を受けたりしました。現在はそれを踏まえて、多用な情報を多言語化する取組みを市役所と一緒に進めています。

 災害時には、外国の方に分かりやすく情報を届ける取組みが、とても重要だと考えています。多言語翻訳や携帯アプリの開発など情報発信の体制づくりも大切ですが、ぼくは平時に「○○国の○○さん」のような顔の見えるつながりをつくり、被災時にはその人から同じ国の皆さんに正確な情報を届けるような、複数の人的な関係性づくりがポイントではないかと考えています。

「みんなが集える家」プロジェクト

 いま進めている事業は、水害で空いてしまった空家の利用です。以前にお医者さんが住んでいた病院と家なんですけど、実は今日、その土地を借金して買いました。ボランティアの皆さんの手で空家を改修して、その一部を保育園としてスタートさせています。通っている15人のうち10人は海外にルーツのある子どもたちです。常総市には、330人の未就学児がいるんですが、その半分位しか幼稚園・保育園には行っていません。ここで少しでも受け入れることができればと思っています。

 また、ブラジルやフィリピンの方々にもいずれ保育士になってもらえるように、ここで「バイリンガル保育スタッフ」の人材養成をしたいと考えています。その方たちは、母語で子どもと細かいやり取りができます。保育はバイリンガルという特性を生かせる仕事です。まだ実験的ですけれど、多文化保育という試みが広がっていくことで、そのようなスタッフが増え、結果としてたくさんの外国にルーツのある子どもたちが適切な保育を受けることができ、「プレ・スクール」として機能することで、その後の子どもの教育にも生かすことを目指しています。

さまざまな取組みから考える、これからの日本社会

 他にはピアサポーター(同じ立場の方による支援)の仕組みづくりも進めています。そこでは税金や社会保険などをまず勉強して、それを6言語7種類のガイドブックを翻訳する作業を行っています。先に経験をしてきた、長く日本に住んでいる方が、いま困っている人のためにピアサポーターになりましょうという取組みです。

 他には、地域のルールを理解してもらうために、海外にルーツのある子どもたちに地域のゴミ捨てルールが守られている場所の撮影やリサイクル工場の見学をしてもらい、それを映像にまとめてもらうこともしました。その映像をさらに良いものにして市役所でも放映するなど、子どもたちの力で地域全体を良くしていきたいと考えています。

 また、日本の子どももできるだけ一緒にいるような学童保育を6月から開始しました。スタッフは、ブラジル人、フィリピン人、日本人3名と、学習ボランティア3名です。そこには、ブラジル、ペルー、フィリピン、日本の児童6人と、4名の幼児が通っています。

 こんな活動を地道に進め、いろいろな環境を地域につくっていくことで、そこに関わる方たちが架け橋になって誰もが生きやすい日本社会になっていくのではないかと思っています。

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 つくば市から来てくれた、喜屋武初美さんとお母さんの喜屋武イボンネさんのコメントです。

喜屋武 初美さん コメント

 私は日本に来て少したった中学校2年生の頃にガイダンスに出て、そこで初めて高校受験があることを知りました。そこに参加しなかったら、中学校3年生まで高校受験のことをよく知らないままで、もしかしたら高校に行けなかったんじゃないかと思うことがあります。

喜屋武 イボンネさん コメント

 私はペルー人ですけれど、日本で外国にいると感じたことはないです。困ったことがあったら助けてくれる人が、いつも誰かいた。私たちが日本に来た頃に、周りの人がそのようにしてくれたから自分の子どもも上手く育ってくれました。だから何かをしてもらうだけじゃなくて、自分の文化や生活の中から、日本のお母さんたちにも何かできることをしたいと思っています。

3)「日本のさまざまな難民支援」 吉山昌さん(難民起業サポートファンド代表理事)


 続いて、日本国内の難民支援活動をしている吉山さんにお話しいただきました。

難民問題について

 日本の人口の半分くらいの6,850万人という数字を、どこかで見た方がいらっしゃるかもしれません。これは国内難民も含めた全世界での難民の数です。数字を見ても、あまりに多すぎてよく分からないですよね。難民と言っても一人一人の置かれた状況があります。例えばシリアの完全に破壊された街の映像は、とてもショッキングで、このような状況から逃れる人々がいます。他に、風景は一見平和だけれども、政治活動や宗教的な理由で逃げなくてはならない状態になった人もいます。

 少し古い説明ですが、難民問題の解決には大きく3つがあるといわれています。一つは「紛争の根を断つこと」。これは、個別にはあったりもしますが人類がまだ完全にはできたことのない解決方法でもあります。次は「国内に残ったり、周辺国に逃れた人をサポートすること」です。ただ、それだけだと周辺の国に大きな負担がかかってしまいます。そのため「平和で安全な国が、難民を受け入れること」の必要性が、長らく言われてきました。

「管理」と「保護」

 日本は、3つ目の役割を果たす必要があります。実際どうなっているのかというと、日本が難民を受け入れる状況も、日本の中で難民が暮らしていく状況も厳しいものです。2017年の難民申請者は約2万人で、難民認定された方は20人でした。「日本は紛争地から遠いのに、わざわざ来るんだろうか」という人もいますが、実際に私たちは日々会っており、「平和で安全な国が難民を受け入れる」ことからも、日本はもっと難民を受け入れるべきと考え、私たちは活動をしています。

 「4月から外国人労働者の受け入れ方法が変わります」というニュースを見た人は多いと思います。その関係で「入国管理局」が、「出入国在留管理庁」になったとも報道されています。ある意味、素直な名前だなとも思っています。

 入国管理と難民保護とは相容れない部分があります。もちろん国家である以上は入国を管理する必要があるわけですが、「保護」という観点をどうそこに入れるのかという視点が抜けていると思います。品川や空港などにいくと「ルールを守った国際化」と貼ってありますね。法務省も「健全な日本社会の発展に寄与する」などと言っています。管理中心ではない受け入れ、一緒に暮らす、そんな話もしていく必要があると考えています。

難民申請中の方の日常生活

 認定・不認定の結果が出るまでには、平均で3年ほどかかっています。本人は結果が出るまでのあいだ「どうなるんだろう」と不安ですし、日本の統計を知った人は多分認められないだろうと思ってしまいます。そのあいだは定期的に、入国管理局に行って「まだ許可が出ていません」と、更新して帰ってくる日常です。

 仮放免という状況の方もいます。何が「仮」かというと、本来は収容されるルールなんですが、収容されずに社会にいて数ヶ月に一回、入局管理局に行くことです。家族からすると、もしかすると収容されてしまうかもしれず、家に帰ってくるかどうかも分かりません。

 数年待っているあいだ、就労資格があったとしても難民が働くことは簡単ではないですよね。持ってきたお金もすぐなくなり、住む場所がなくホームレスになってしまい、そうすると仕事を探すこともますます難しくなるなどの結果、体調を崩してしまう人もいます。

難民支援の仕事とは

 このような状況をサポートするために1999年に難民支援協会を設立し、これまで6,000人ほどの方へ支援をしてきました。まず必要なのは「話を聞く」ことです。話を聞いた次には、本人に何が出来るんだろうかということを話し合います。女性で単身だったり、子どもがいたりすると、シェルターに入ることができるように手配する一方、男性で健康ですと夜の居場所にハンバーガーショップを紹介することもあります。年間700人ほどの方のサポートをする中で、全員に居住のサポートをすることはできません。また、現実に日本で難民の方が認定結果までの何年間かを生き残るためには、自分自身で生きる力を出すことが必要なのです。

 先ほど、2017年の難民認定者は20人と言いました。そのためには、書類を作成して難民申請をする必要がありますので、そのお手伝いもしています。その際には、弁護士など必要な専門家にもサポートに入ってもらうことがあります。

 そうは言っても食事がなくては生きていけません。そのため生活支援としての食料提供も別途行っています。

働くための支援と、医療支援

 一人にこれらの支援をずっと続けていく訳にはいきません。その後のために必要な支援の一つは、自身が働いてお金を稼げるようにしていくということです。そのため働くことを目的にした日本語教育や、会社との面談斡旋も進めています。

 また、病気になった際のサポートも行っています。言葉が上手く通じない方が多いので、病気になってしまったら、患者と医者をつなぐことが必要になります。医療機関などの対応力が上がっていくことも目指しており、現実解として「指差し会話帳」を作ったりもしています。

 就職や医療などの難民の方の定住サポートに関しては、企業側や医療機関側に変わってもらうための働きかけも行っています。

難民起業サポートファンドの設立

 難民支援をしていると、ぎりぎりの状況のなかでホームレスになってしまったとか、病気になってしまったとか、厳しい話が多いんですが、日本社会で新しいチャレンジをしようとする方もいます。

 この後に話をしてくれるチョモちゃんのご両親は、20年以上前に日本に来て、いい出会いがあって正社員として日本で働いた後に、いろいろな思いがあってミャンマー料理のレストランを立ち上げました。他にも、自分の持っているつながりや知識を生かして、レストランや中古車販売の仕事を作りたいという方が何人もでてきました。

 しかし、日本のマーケットをあまり理解できていなかったり、資金集めが難しかったりします。そこで設立した団体が「難民起業サポートファンド」、日本にいる難民向けのマイクロファイナンスです。そこでは、最大100万円の融資と経営アドバイス、税理士などの専門家紹介などを行っています、

おわりに

 難民起業サポートファンドでサポートした「スィゥ・ミャンマー」の料理をぜひ食べてみてください。高田馬場にあって、周りは「リトル・ヤンゴン」と呼ばれるようにミャンマー関係のお店がとても多くなっています。お店は家族だけでやっているわけではなくて、そこで働いている方が難民に限らずいます。お店が一つの場になって難民の方が日本社会とつながっていく姿を見ていると、それはひとつのこれからの日本社会のモデルの一つだなと思います。

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 お話しに出てきた、チョモさんのコメントです。

チョモさん

 お店が出来て4年以上たつんですけど、最初から吉山さんたちに助けていただいて、私が大学に進学できるほどちゃんと生活ができています。先ほど初美さんも言っていましたが、私も中学校の入学願書を書いたりするのは、全部自分でやってきたんです。その時もいろんな人の助けがあったから、いまも私が日本で生きていけるんだなって改めて実感しました。

4)「海外にルーツを持つ若者とつくる、これからの日本社会」 喜屋武 初美さん、チョモンスィさん、奥田裕之/司会


 続いては20歳、21歳と若い二人のお話しです。まずは自己紹介から。(初美さん、チョモさんとお呼びしたので、そのように表記しています)。

【お二人の自己紹介】

初美さん

 生まれは埼玉県深谷市でしたが、すぐペルーに行って9歳まで暮らしました。9歳に日本へ戻ったんですが、ペルーでは日本人と言われ、日本ではペルー人と言われるので、自分ってどっちなんだろうと思っていました。でも途中から「どっちでもいいや、自分は自分だ」って思うようになりました。

 「日本語は難しかったでしょう」とよく言われるんですが、私は勉強が好きだったので、ぜんぜん難しくなかったです(笑)。それと小学校の先生の教え方が上手くて、日本語があまり話せなくても今日のように話をする機会をつくってくれて、そこで話をしているうちに話せるようになっていきました。高校はそれまでと環境が大きく変わって、いろんな人たちと話をして一番楽しかったです。

 高校を卒業した後は、「就労継続支援A型」でいまも働いています。そこで日本人と外国人ではなくて、障害を持った方との違いについても考えるようになりました。その場所で働くまでは私にも偏見みたいなものがあったと思うんですが、働いてみて「やっぱり違いはないんだな」と思い、自分から区別をつけることを止めるようにしました。

 次はまた違うところでチャレンジしてみたいと思って、今度の春からお母さんの友だちが住んでいるカナダの大学で、機械工学の勉強をする予定です。

チョモさん

 自分は初美ちゃんと違って、日本で生まれて日本で育ってきました。小学校の頃は周りと違うと言われるのがすごく嫌でしたし、あと勉強がすごく嫌いでした(笑)。

 中学校の頃までは自分の国がむしろ嫌いで、日本人に生まれたかった、日本人として生活したかったって思っていました。でも自分はミャンマーの舞踊を小さい頃からやっていて、高校生の時に新聞に大きく取り上げてもらったんですね。高校でも何か指摘されるのかなと思ったら、先生が大喜びして新聞を学校中にばら撒いてくれて、周りのみんなも小学校の時とは違って「すごいね」って受け入れてもらえたり、違いを尊敬してくれたりしたことで、それが変わりました。

 小さい頃から、家では親がミャンマー語でしゃべって、私が日本語で返すスタイルだったんですが、親を真似していたら、少しずつミャンマー語が話せるようになっていました。それでお店にミャンマー人のお客さんが来たらミャンマー語で話すようになり、二ヶ国語を話せるようになりました。

 いまは大学でデザインを勉強しています。自分にしか出来ないことで、ミャンマーでも仕事ができることは何だろうって高校生のときに考えて、デザインの勉強をすることに決めました。将来はミャンマーでも日本でも働けるようになりたいなと思って、いまメッチャ勉強してます。

 チョモンスイさんというお名前は、苗字と名前に分かれているんですか?

チョモさん

 家族全員の名前が違っていて、お父さんと弟と私は「スイウ」が入っていますが、それは苗字ではなくて何となく語呂がいいからだそうです。ミャンマーに苗字はなくて、自分の生まれた曜日が入っているんです。私は月曜日生まれだから「チョ」っていう言葉が入っています。私は仏教なんですけど、あっ、すみません(笑)。仏教では生まれた曜日で性格が分かるらしいです。

 喜屋武(きゃん)さんは、沖縄のお名前ですか?

初美さん

 お父さんのおじいちゃん、おばあちゃんが、戦争の頃にペルーに移民したので、喜屋武は沖縄の苗字です。私は、ペルーの名前と日本の名前の両方を持っています。本当は、「喜屋武 ラザルテ ビビアンナ 初美」になります。もし結婚したら、相手の苗字○○が「デ・○○」とつくのですごく長くなります。書くのが大変です(笑)。

【NPOについて】

 普段、NPOの人たちってどんな風に見えていますか?

初美さん

 説明することができないくらい色々な事をやっていて、すごい面白いと思います(笑)。自分の経験もありますし、NPOが地域にあってよかったなと思います。もしもなかったら、困る人が増えると思います。

チョモさん

 吉山さんは最初、お客さんの常連さんかなって思っていました(笑)。助けてもらった結果が目に見えてくるので、すごいなって思う一方で、「難民のプロジェクトだから関わる」だけじゃない近しい存在になっています。

【ご自身のルーツと日本社会】

 お二人は、自分のルーツと日本社会とのバランスみたいなことをどう考えていますか?

初美さん

 私は正直に言って違いは感じないんです、同じだと思うんですよ。もちろん文化とか法律などは違いますけど、この場所にも違う文化の人がいたり、海外に住んでいたよという人もいるので、それと同じ感覚かなって思います。「ペルーと日本の生活はどう違う?」って聞かれても、違いはまったく感じないんです。

チョモさん

 私は、違うからこそ自分にしか出来ないことがたくさんあると思うんです。私は自分のことを「架け橋」だと思っています。今日のミャンマー料理も、普通にただ道を歩いているだけでは、食べる機会はほとんどないと思うんです。私が宣伝したり、吉山さんが手伝ってくれたりすることで、自分が自慢できることを皆さんに知ってもらえたらいいなって思います。

【外国人労働者受け入れニュースを聞いて -「人と人」の関係】

 

来場者からのご意見

 外国人労働者の受け入れを拡大する話が進んでいる中で、受け入れ方のルールを作ることはもちろんですが、受け入れる日本人の精神的なサポートも考えていく必要があるんじゃないかなと思っています。

初美さん

 外国人労働者を受け入れるっていうニュースを聞いて、最初に浮かんだのが「ちょっと怖いな」ということでした。「壁をつくってしまうんじゃないかな」と思いました。外国から来る人に、日本語を学んできてから来て欲しいという思いもあるんですけど、日本の人も日本語の他に、うまくなくてもいいから何か一カ国、別の国の言葉を覚えて欲しい。

 それと、頑張ってサポートしようというんじゃなくて、まず友だちになるところから始まって、話をする中からサポートをしてあげようっていうようになればいいと思います。これから、いろいろな外国人がくるので、その人たちと友だちになってほしいなって思いました。

チョモさん

 私も同じように、このニュースを聞いたときには怖いっていうか、これから良い方向に進んでいくのか、悪い方向に進んでいくのか、何か不安な気持ちになりました。

 外国にルーツのある人が、日本で生活する中で持っている何か共有する経験というか、感じがあるような気がするんですけど、外国の人とまずは「その人」とコミュニケーションをとって仲良くなって、もしも自分が追い込まれた時に「この人に言えばいいんだ」って真っ先に思い浮かぶ、近しい関係ができるようになったらいいと、いま思いました。

5)皆さんからのコメント

 最後に皆さんからコメントをいただきました。

ビッグイシュー販売者さん

 先ほどからお話しを聞いていて、外国人労働者の問題とホームレスの問題は似ているなと思う部分がたくさんありました。お話しも、うちの雑誌で扱っていることばっかりでした。ビッグイシューもビッグイシュー基金というNPOで生活支援や居場所づくりをしています。

 そこにはサッカーや英語などのクラブがあって、実は今日はぼくも所属している英語クラブの日だったんですけれど、この企画の方に参加しました。4年くらい続けていても、いっこうに成長しませんけどね(笑)。居場所の話など今日は大変参考になりました。どうもありがとうございました。

関野さん

 私は、この新大久保の教会で14年働いているんですけど、ここの周りには韓国の方も、中国の方も、台湾の方も普通にいます。ここで「何人」ってカテゴライズすることは無意味だし、ばかばかしい事だって思っているんです。

 あるとき教会に帰ったら、どこの国の人かは分からないんですが、お母さんが小さな子どもに、教会に向かっておしっこをさせていたんですよ。ちょっとプチッと切れながら「やめてください、ここは教会ですよ」と言ったら、お母さんは「じゃあ、どこですればいいんですか」って答えたんです。「なるほど」と思いました(笑)。そこには「何人」とか関係ないんですよね。

吉山さん

 ありがとうございました。今日の話にはいろいろな話が混じっていて、それがまさに多様な社会を表していると思いました。普段は支援団体の立場で活動しているんですけれど、そこにリアルにいる人たちは何を感じているんだろうと思っているので、このようなお互いに話せる場は貴重だなと改めて思いました。そのことで、ちょっとは社会が変わっていくのかなという期待も感じました。

横田さん

 こんな場もあるんだなと学ばせてもらいました(笑)。常総市でもこのような企画ができたらと思います。何かあったらぜひ常総にもいらしてください。どうもありがとうございました。

初美さん

 こういうところは初めてなので、人がいっぱい来てくれてすごく嬉しかったです。今までは教育の面でうまくいかない人の支援しか知らなかったんですけれど、こういういろんな角度から考えている人がいることを知って、安心できるなって思いました。

チョモさん

 キャラの濃い方たちばっかりで、すごく楽しかったです。一期一会というか、日本ならではの交流があるんだなって思いました。お話しを聞いてくれてありがとうございました。


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 あたりまえですが「好意」や「愛情」が人を変えていき、そして周りの状況も改善されていくことが、これから良い方向に進もうとしている若いお二人を見るとよく分かります。日本社会には不寛容さが多く感じられますが、現場ではこのようなNPO活動が続けられていることを多くの人が知り、それらの活動を支えていただければと思います。初美さんとチョモさんのお話は、why can't we be friends というタイトルの通りでしたね。(文責;奧田)

*茨城NPOセンター・コモンズ グローバルセンター https://www.commons-globalcenter.org/
*難民起業サポートファンド https://espre.org/
*スィゥ・ミャンマー https://tabelog.com/tokyo/A1305/A130503/13149453/

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