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2-4 座談会「NPO法制定過程における立法運動」(インタビュー抜粋)

*この資料は座談会の前半から抜粋したものです。

座談会概要

◆日時;2011年7月15日(金)19:00~21:00
◆場所;日本NPOセンター会議室
◆ゲスト;
 早瀬 昇(大阪ボランティア協会常務理事)
 松原 明(シーズ・市民活動を支える制度をつくる会副代表理事)
 山岡義典(日本NPOセンター代表理事)
◆司会;坪郷 實(早稲田大学教授)
◆進行;辻 利夫(NPOまちぽっと事務局長)
◆記録;原田 峻(東京大学大学院)

 NPO法制定過程における市民団体の動きに関して、松原明氏・山岡義典氏・早瀬昇氏の鼎談形式でインタビューを実施した。

 松原明氏は、経営コンサルタント等を経て、1994年に「シーズ=市民活動を支える制度をつくる会」の事務局長に就任。1998年のNPO法制定と2001年の認定NPO法人制度制定、およびその後の法改正でロビイングの主導的な役割を果たした。2013年からシーズ=市民活動を支える制度をつくる会代表理事。

 山岡義典氏は、都市計画の実務を経て、1977年にトヨタ財団プログラムオフィサー(のちにプログラムディレクター)に就任。1992年に同財団を退職後はフリーのコンサルタントとして市民活動に関する調査研究や政策立案に関わった。1996年に日本NPOセンターの常務理事・事務局長に就任、2012年から同顧問。

 早瀬昇氏は、1978年より大阪ボランティア協会に勤務、1991年に事務局長就任。阪神・淡路大震災発生後は日本初の災害ボランティアセンターとなった「被災地の人々を応援する市民の会」の創設に関わり、NPO法制定過程では関西の市民団体の立場から関わった。2012年から日本NPOセンター代表理事。

 なお、この鼎談は2011年7月15日に日本NPOセンターで実施した(司会:坪郷實、進行:辻利夫、記録:辻利夫・原田峻)。

座談会本編(抜粋)

辻) 本日は、立法運動をになった当時の市民団体の主要メンバー3人にお集まりいただいて、順番にお話をうかがうことにします。制定過程の期間は、前史となる1992年くらいから辿って2001年の認定NPO法人制度導入までとします。時間が限られていますので、網羅的に全部ということでなく、2つくらいにポイントを絞って話していただくことにします。1つは、NPO法制定に向けた市民団体の動向、背景。もう1つは、政党や議員の動きです。司会は坪郷さんにお願いします。

坪郷) シーズは94年11月設立ですが、前史がありますよね。最初は、シーズができるまでの前史の時期と、シーズができて以降の98年3月のNPO法制定、2001年3月のNPO支援税制成立という時期で、2時間で重要な出来事を思い出していただければと思います。加えて、このプロジェクトでは当時の関係者に広くインタビューもおこなう予定ですので、その時々でインパクトをもった人の名前も適宜挙げていただければと思います。

 最初の1時間くらいで法制定を求めた市民団体の動き、後半は政党や会派、議員の動きとどう連動したのかをお話いただきます。と言っても、2つは重なってくると思います。初めに、法制定を求めた市民団体の動きについて、山岡さん、松原さん、早瀬さんの順でお話いただきます。後半については鼎談のかたちで進めたいと思います。

■山岡義典

 1996年5月までの段階については、日本福祉大学の紀要に詳細に書いています(※1)。市民団体の動きはそこに書いてありますので使ってください。1992年10月31日と11月1日に川﨑市で、第2回日本ネットワーカーズ・フォーラムという会議を開催しました。公的な場で、日本に新しい非営利法人制度を作ろうという動きを意図したシンポジウムは、これが最初かと思います(※2)。ネットワーカーズ会議の代表の播磨(靖夫)さんの開会報告に続いて私が基調報告として新しい非営利法人制度がなぜ必要かを問題提起した。アメリカからも4名を招聘してNPOのなんたるかを聞き議論をした。早瀬さんもディスカッションに参加した。このときは、企業、自治体、いまでいうNPOの人が、100人以上、初めて一緒に集まったという感じがします。このあと大阪と名古屋で開きました。

(*早瀬; 大阪では、大蔵省主税局長の大武健一郎さんが来ましたね。)

 この会議が、「新しい非営利法人制度を作る運動を起こそう」と初めて公に言ったものでした(※3)。このあと、会議をいろいろなところでやっていたのですが、もう少しきちんとやろうということで、奈良まちづくりセンターの理事長だった木原(勝彬)さんと、今はビッグイシューの代表をしていて当時は地域社会研究所というコンサルタントだった佐野(章二)さん、この2人が僕に呼びかけて、3人でNIRA(総合研究開発機構)に企画を持ちかけて調査をおこなうことにした。2000万円は必要だということで助成ではなく委託にして出してもらった。スタートしたのが93年3月だったかと思います。東京のYMCA研究所で第一回をやりまして、それから1年余りかけてまとめました。市民活動団体に関して網羅的な調査をして、関西と東京で30人ほどの人間が議論しました。このときに、新しい制度をどうつくるかということと、独立の民間のセンターを作る必要があるということを書いた。民間センターは全国的なセンターと、それぞれの地域のセンターを作るとした。

 94年4月23日に、新宿でシンポジウム「市民活動を支える制度を考える」がありましたので、報告書もこれに間に合わせました。シンポジウムでは、僕らはNIRAの報告をしたわけですけど、石村耕治さん、林和孝さん、柏木宏さん、といった人が集まって非常に活気がありましたね。これがベースになって、11月にシーズができる訳です。

 NIRAの報告書(※4)には自治体はじめいろいろなところで反応があって、日経新聞が一面に出してくれたんですね。その後NIRAの発表会を東京と大阪で開催しました。100人ずつくらい集まったかな。本格的に法案というか仕組みを作ろうということで、NIRAの第二弾の調査研究を94年12月27日から始めるんですが、始まったところで震災が来たわけですね。すぐに法案関係の動きが出たので、新しい法案作りに対して意見を出して、基礎理論を固めていった。そして95年11月に取りまとめ、最終的に報告書(※5)が出たのは96年の5月です。

 僕らは常に、2つを睨んでいたんですね。1つは民法の抜本改正に基づく公益法人制度本体の改革による新しい非営利法人制度をつくること、もう1つは現実的に民法はそのままにして民法第34条の特別法による非営利法人制度をつくること。報告書でも、雨宮孝子さんが民法改正の素案、僕が特別法の素案を2つずつ書いて、4つの案を作ったんです。これが、シーズの活動と並行して、震災前後1年くらいの間にやったことです。

 この間に、94年9月にはイギリスでCharity Lawの国際カンファレンス(※6)があったんですね。ヨーロッパでも新しい法人制度についていろいろ議論があったんです。そこに僕らも10人くらいで出かけていって、NIRAの報告をして、向こうの人とディスカッションしました。我々は日本のことしか知らなかったけど、初めて、これは世界の動きであると興奮した。特に佐野さんとかが興奮しましたね。これはやらなくてはいかんな、ということも感じてきた。とりあえず僕が直接関わったことは以上で、直接関わっていないことは、先ほどの論文に書いてあります。

■松原 明

 1993年の時点で、市民、財団、行政の側から制度に向けた動きがあって、この時点でいろいろなレポートが出ていたんですね。古いところでは1985年です。一番印象的なのは、1992年に経済企画庁が出した「新しい制度を目指して」というレポートです。新しい法人制度の必要性を訴えていて、行政側からは一番しっかりしたレポートだったと思います。

 私の来歴は国際人権活動から立法運動に入ってきました。東チモールなどの国際協力で91年まで大阪にいて、東京に移ってきたときにやろうと思ったミッションが立法運動です。そのときの一番の原動力は国際協力団体の法人化の問題ですね。アムネスティ・インターナショナルが公益法人になろうとして、なかなかなれないという問題がずっとあって、そういうのは許せないと思いましたからね。

 立法のアプローチとしてコアになったのは、税制の問題です。税の問題から組み立てて、法人格の問題をやりましょうと考えていました。91年、92年は税制や法人制度の勉強しかしていなくて、93年1月からフリーになったので、運動を組み立てるつもりで、あちこちを回った。そのとき、東京ランポの辻さんとも「情報公開法を求める市民運動」の勉強会で会った。それで東京ランポで2月に立法のための研究会を始めるからというので参加して、そこで林和孝さんに会い、「情報公開法を求める市民運動」の奥津(茂樹)さんにも会った。法律を作ることを考えていたので、立法運動団体にまずアプローチして、それから政党にも個人的にアプローチしていきました。

 一方で、林和孝さんと辻さんと3人で東京ランポに市民活動促進制度研究会を立ち上げて、立法運動をするということで、運動に必要な法案を作る研究ということで始めた。ランポのほうで法人制度の問題をやるというので、税制の問題もやろうと思い、アムネスティの人脈で自由人権協会を紹介してもらって、93年の6月に自由人権協会の肩書きでウィーンの人権会議に出るわけです。そこでいろんな人にリクルートをかけて、帰ってきてから、石村耕治さんと北野弘久さんをトップにして、税制に関する研究会を作った。同時に運動面で、92年のリオデデジャネイロの環境サミットのグループの助けが必要だということで、岩崎駿介さんがやっていた団体(※7)に話に行って、リオに出たグループのなかで弁護士の矢花公平さん(※8)と法人化についての研究会を一緒にやりましょうと。そのときに、運動母体となりそうな人のグループをリオ関係から調達して、法人化制度はランポでやって、税に関しては自由人権協会でやって、この3つを統合して運動体を作るというプランで進めていました。弁護士の浅野晋さんをランポの研究会に引き込んで法案の検討を続けていた。

 94年にニッセイ、住信の報告者(※9)が出て、NIRAの報告書が出た。それとあわせて、一方で自由人権協会の税制の提言骨子、ランポの法制度の原案もできて、法律を作るためのコアとなる目標レベルが決まったので、「運動やるべし」ということで、4月に東京ランポが企画して「市民活動の制度を考える」シンポジウムを開いた。

 シンポジウムでは、アメリカのSharon BeharさんというNGOの活動家にアメリカの話をしてもらって、石村さんが税制の案を紹介し、伊藤さん(道雄)には日本のNGOで寄付が集まっていないことを話してもらって、富山和子さんが郵便料金の話で、林さんには市民活動促進法の原案を出してもらって、山岡さんにはNIRAの報告をしてもらった。予想を超える200人近くがきて、そこで立法のための運動体をつくろうとなって、準備会をもって11月にシーズが発足しました。

(*辻; フォローしますと、4月23日のシンポジウムのパネリストに、日本消費者連盟の富山洋子さんがなぜ入っているのか。NPO法にはメリットがないとだめだろうと思い、その頃、第三種郵便の改定の問題があって消費者団体などが盛り上がっていたんですよ。そこに、柏木宏さんからアメリカの事例を聞いて、「NPO法を作ると、アメリカのようにNPOの郵便料金が割引されるメリットがあるよ」とアピールしたんです。)

 郵便については、アメリカのような「ニュースレターを封筒に入れないで三つ折りにしたものを簡易書簡と認めてくれ」ということで、郵送できるかどうか実証するために港区の郵便局に行って、ぐるぐる回る機械に入れたら、通らなかった(笑)。これも一重に、NPO法と税制をつくるメリットを広げないと運動が進まないということで考えたことです。寄付税制だけで法律を作るのは難しくて、一番のメリットは郵便料金だということで、消費者団体を巻き込んで行動化しようしたと。そういう意味で、富山さんに入ってもらった。4月に持っていくまでは、消費者団体は「運動をしましょう」と言っても「やらない」と断られていた。94年以降の経過は、シーズのブックレットに書いてあります。

■早瀬 昇

 僕自身が背景として感じるのが、1985年にプラザ合意が起こって円高になり、日本の企業がアメリカに進出しだしますよね。そこで、日本の企業がアメリカのフィランソロピーを知るわけです。これは企業サイド、さらには自民党サイドに影響する話です。

 もう1つ重要なのが、89年の冷戦終結だと思うんです。89年までは、社会主義対資本主義という対立があって、市民活動は基本的に反体制にならざるをえなかった。冷戦が終わって以降、そういう議論が一段階上にあがるんですね。それまでは「市民運動」という言葉しかなかったわけで、「市民活動」って言葉が馴染まなかったんです。僕は91年に大阪ボランティア協会の事務局長になっているんですけど、91年に企業市民活動推進センターという部門をつくると、仲間から裏切り者扱いですよ。「なんで企業のお化粧を手伝うの、そんなにお金ないの」と。「企業を変えないと社会は変わらないでしょ」とだいぶやりあったんですけど。

 一方で90年くらいから、企業自身によるフィランソロピーの運動が始まりだして、僕は市民活動団体とのつなぎ役をやっていました。

 そのような社会の転換があったから、後々にNPO法をつくるときに、経団連の田代(正美)さんが自民党の説得に動いてくれた。田代さんに「なんでNPOの応援をしてくれるのですか?」と聞いたら、「NPOが伸びないと、行革が進まない。政府だけに任せていたら行革が進まない」と。その発想は、行政にとって代わるというNPOが反体制型の団体以外のものもあるという認識がないと、あり得ないことだったですよね。それまでは、市民活動に参加している企業人は企業内では隠れキリシタン状態だったんですよ。

 そういった90年前後のパラダイムの転換と震災が、法律を作ろうという背景だったと思うんです。NIRAの研究会では、「民法改正は100年かかる」と話していたんですよ。太平洋戦争に負けても民法34条は変わらなかったわけですから(笑)。

 そこへ突然、大震災が起こってしまった。そこで95年の1月25日に、当時の官房長官の五十嵐(広三)さんが「ボランティアを支える制度を作る」と言いだしたんです。その流れで、18省庁連絡会議ができた。ただ、あのときはボランティア推進だったのを、NPO法制度に変えられたのは、震災前からの松原さんたちの準備があったからですね。実際には、94年の前に公明党が「ボランティア推進基本法案」という法案を出すんですけど、実効的な意味はほとんどなかった。あのときは実態がなかったですから。ですので、95年の震災後にボランティアの活動が盛り上がったときに、既にNPOという法制度に関する準備状況が進んでいたことは大きかったと思いますね。

 たしか、95年の2月に鳩山由紀夫さんからヒアリングを受けた経験がありますよね。彼はあのときは、新党さきがけの幹事長でしたね。この時には既に法人制度の話で、完全に法人格に関する法律整備のほうに舵が切られていました。

(以下、略)

本文注

1.山岡義典,1996,「市民活動団体への法人格付与制度創設に関する最近の動きと市民団体の反応―その1―」『日本福祉大学経済論集』13: 95-107.
2.日本ネットワーカーズ会議,1993,『第2回ネットワーカーズ・フォーラム報告書 ネットワーキングを形に!』日本ネットワーカーズ会議
3.フォーラムを受けて会議では「次代の社会システム創成にむけて」と題した7分野の提案をしているが、その7として「認知と支援のための「法制度」の創設」をあげている。前掲2 p.124~125
4.『NIRA研究報告書 市民公益活動基盤整備に関する調査研究』総合研究開発機構1994.3
5.『NIRA研究報告書 市民公益活動の促進に関する法と制度のあり方―市民公益活動基盤整備に関する調査研究(第2期)』総合研究開発機構1996.5
6.NCVO主催の International Charity Law Conference(ICLC)。この会議の様子は山岡,1994,「民間公益活動の展望と課題~二十一世紀へ向けての社会ビジョン」『月刊福祉』(1994.12全国社会福祉協議会)の中で紹介(p.58~63)。
7.「92国連ブラジル会議市民連絡会」のこと?が発展した「市民フォーラム2001」か?
8.熱帯雨林保護法律家リーグ
9.ニッセイ基礎研究所「市民活動に対する支援実態に関する調査」、住信基礎研究所「市民活動の発展を目指した助成のあり方に関する研究」

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