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4-1 NPO法立法過程記録編纂・公開記念シンポジウム(3/2)報告

 認定NPO法人まちぽっとは、2016年3月2日に東京ボランティア・市民活動センターで「NPO法立法過程記録 編纂・公開記念シンポジウム -市民が法律をつくる、活動を記録する、共有して学ぶ」を開催しました。NPO法立法過程の記録は、単なる過去の歴史資料ではなく「NPOと政治」「議員立法」「市民主体のアドボカシ-」など現在及び今後の市民社会の形成や政策立案等に有益な内容を含んでいます。また立法過程を通じて、市民、市民団体、企業、行政が協働して、新しい社会を作り上げるために共同した社会的ダイナミズムをもう一度捉えることも重要だと考えられます。そこで、「市民が法律をつくり、活動を記録し、共有して学ぶ」ことを広く訴えるために開催したものです。

第1部「NPO法の成立プロセスで起こったこと、積み残した課題」

登壇者

*堂本暁子氏
(元参議院議員、元千葉県知事)
*松原明氏
(認定NPO法人シーズ・市民活動を支える制度をつくる会理事)
*山岡義典氏
(公益財団法人助成財団センター 理事長)
*辻元清美氏
(衆議院議員/NPO議員連盟)
*辻利夫
(認定NPO法人まちぽっと)/司会

本論

第1部は、立法の過程で中心的な役割を果たした皆さんにお話しいただきました。

堂本氏

 92年にリオデジャネイロで行われた「地球サミット」(国連 環境開発会議)には、2、3人の小さなNGO(非営利組織)でも参加を認めるという大きな変化がありました。にもかかわらず、準備会(PrepCom)の場に自分以外に一人も日本人がいない。その理由は日本にはNGOのための法制度がなく、公益法人ではハードルが高いため、弱小NGOは法人格がとれなかったからです。その後に阪神大震災が起こり、ボランティア活動に関して同様の問題がおき、法人格がないと国内外で活動しにくいという問題が持ち上がりました。
 立法過程では、市民の主体性を重視した議員立法としてNPO法を作りたいという私たちの想いと、内閣提出法案として出したいという18省庁の動きがぶつかりました。そこで、私たちは野坂官房長官(当時)のところに行き議員立法でいきたいと強く訴えた。閣法でつくれば、再び霞が関の許可/認可の世界になってしまう。原発反対のような活動は法人格を取得できない。その日、説得に成功して議員立法で進めることが決まりました。ただ残念だったのは、法律の名称がNGOでなければ世界に通じないという想いが私にはあったのに、NPOになってしまったことです。

松原氏

 NPO法立法は、市民立法・議員立法という当時ものすごく新しいスタイルでした。議員や市民に法律をつくる力などないと思われていたし、公益性は霞が関、政府が決めると思われていました。NPO法の根幹は、市民主導の社会を作ることにあります。政府をひっくり返すのではなく、政府の権力を委譲し、市民に主体性をもたせ、市民主導で社会変革が進む社会にすること。ゆえに、NPO法は最大の規制緩和とも言えます。
 当時の市民活動の欠点は、政府に提案はするが議員には提案しないことでした。市民活動自体が政府頼みだったんです。それでは市民主導の社会は作れない。議員は国民の代表です。議員立法でないと、NPO法の精神は実現できない。また、党派によるのではなく各党とフェアに話し合いを行うことが大事です。
 NPO法立法では、法律の中身と、立法のプロセスが一致していることが重要でした。私たちは、当時、「市民・議員立法は無理だ」と言われていたことに対して多くのメンバーと共に挑戦しました。運動の新しいスタイルとして、参加・公開・対話を大事にしました。各党にお願いに行くときは、全部の党にそれぞれ公開の場で競争してもらった。他にも日弁連や青年会議所にも案を出してもらった。案が出れば、その中身は異なって構わない。もちろん、市民間でも闘いがあります。それも公開した。その上で議論、対話、時に争いを何度も繰り返し、その都度、プロセスを公開しました。それが法律を成立させる原動力そのものだったと考えています。だからこそ、今回の資料は膨大なものになりました。

山岡氏

 92年時点では、当時の公益法人制度では民間の活動は進まないと考えていました。主務官庁制の解体、民法抜本改正には100年かかるという話もあったので、特別法での成立と民法改正の両面から考えていました。NPO法ができてから10年後に公益法人制度改革がありました。NPO法は、結果としてその後に公益法人制度が変わることにも寄与したのではないかと思っています。
 2011年の東日本大震災当時、今回の資料を編纂することに時間をかけて良いのかという迷いもありましたが、今やるしか無いという話になりました。整理の過程で堂本文書の存在を知り、議員同士のやり取りが残っていることが分かりました。この中には理事懇談会のメモなど議員内部の文書もあります。民間のシーズ文書と議会や政党間の堂本文書の両方を見ることによって、情報が非常に立体的になったのではないでしょうか。

辻元氏

 初当選から20年ですが、当選して2週間くらいでNPO法をつくるチームに入りました。この法律を、市民と議員のコラボで実現できた理由には3つの背景があると思います。
 1つめは、市民側の動きがそれまでの「反対する」という要請型から、法律をつくるクリエイティブな動きへ変わったこと、しかも社会の中身をデザインするものだったことです。その時に、市民の政治に対するロビー活動が出来上がった。シーズを中心に、糾弾型ではなくポジティブな提案を保守層に働きかけた。これが大きな転換でした。
 2つめは、時代の要請です。ブラジル市民連絡会でリオに行きましたが、ヨーロッパ・アメリカは政府の代表団の中にNGOがいて、一緒に地球温暖化などについて議論している。当時の宮沢内閣では、PKOのことで牛歩戦術をしていた時代です。竹下登さんがリオに代表団を引き連れてきた。竹下さんにNGOとは何なのかと聞かれ、家までNPO・NGOのことを説明に行きました。また、NGOの代表が河野洋平さんとカイロに行くなどもありました。そのように、政治家とNGOとが一緒に取り組む中で阪神の震災があり法律を作ることになりました。
 3つめは政治的な要請です。その時は村山政権で、当時は自民党の中にもハト派の人間が多く、連立政権であったことで社会民主主義的な色がありました。
 この3つが融合して、プロセスそのものが市民革命であり、政治の中にも新しい芽を開かせたと思います。同時並行で、情報公開法、環境アセスメント法、男女共同参画基本法についても、当時から働きかけていました。しかし、その時にやり残したのは税控除の問題です。それは民主党の際に、新しい公共円卓会議・推進会議でなんとか通すことが出来ました。これも東日本大震災の時に、市民と一緒に実現できたのだと思います。

 後半は、これまでの話を踏まえて、「NPO法は作り方と内容がセットになった」「参加・対話・公開」という、松原さんからのキーワードを元に議論します。神戸の震災の後に当初にボランティア法案を閣法で出すという案がありました。また、「市民活動促進法」が、直前にあれはサヨクだ!と言われ、「特定非営利活動促進法」になってしまったこともありました。

堂本氏

 NPO法の成立過程で印象に残っているのは、衆議院で成立した後に、参議院で自民党が「市民」という言葉が入っているかぎり通さないと言い、「市民」を入れる、入れないで大論争になったことです。6年という長い時間をかけてきた法律をどうしても成立させたい。そのためには妥協も必要だと考え、100以上あった「市民」という言葉を削除し、目的である第一条にだけ「市民」を残すことを優先しました。「市民活動促進法」という名称も拒否され、最終段階で何とかひねり出したのが「特定非営利活動促進法」です。

辻元氏

 まだ話しに出てきていない欠かせない方は、自民党の加藤紘一さんと日本国際交流センターの山本正さんです。山本さんは、経団連など役割分担して、保守派を説得して回ってくれた。足りないことは私たち議員が答弁で担保、市民がチェックされたり監視されたりすることを極力回避するような解釈で説明しました。奥田敬和さんが、NPO法の議員立法の議論について「これが立法府のあるべき姿だと思う」と発言されたことも印象に残っています。

山岡氏

 NPO法成立までのプロセスを整理すると、4つのエポックがあったと思います。1つめは、95年11月頃。18省庁連絡会議があって閣法の方向性が中間報告としてFAXで公表された時に、市民団体や与党3党が議員立法にするべきだと訴えた次期です。
 2つめは、96年の12月に辻元さんが議員になって自社さで提出案をまとめた時で、この時には自民党と社さでは温度差がありましたが、後は修正で直すので早く議会に出してくれと訴えました。
 3つめは、97年6月に衆議院を通った時期です。当時の野党でもある民主党は与党三答案に修正をかける形で動くことにした。社さだけでは自民を動かすのは難しい。野党の民主党の修正要求で市民側の意見が強く出てきた。それを社さが受けて自民を攻めて修正をして衆議院を通過したということがあります。
 4つ目は、参議院での危機です。市民活動という言葉を、特定非営利活動に一括変換した。その時私は出張していたが松原さんから電話をもらった。何か言葉を考えないといけないと必死に考えた。名称が変わることについては、適切な言葉が出れば良いのではとも思っていました。第一条の目的のところに「市民」という言葉を残すことができたのも堂本さんの粘りだったと思う。

松原氏

 もう時効だと思いますので、名称に関して記録に残しておきます。市民活動促進法がダメだという時に、堂本議員から「非営利活動促進法ではどうか」と意見を求められました。非営利活動では、他の非営利法人との区別がつかなくなるので、「頭に“特定”をつけてくれ」とお願いしたのですね。結果、長い名前になってしまい反省しています。
 さて、立法で、大事なのは議員との信頼関係でした。当時、国会議員の間では「NPOは自分たちの意見を通らないと、必ずハシゴ外す」と言われていた。「シーズは絶対ハシゴを外しませんから」と言明して、実行した。大事なのは意見が異なっても、信頼関係をつくることです。
 また、国会でNPO法が審議されていた時のシーズの出勤時間は、朝の6時でした。議員さんは、朝の7時から法案質疑の打ち合わせをする。それに併せて動けるようにして、徹底的に議員をサポートしました。
 さらに、当時の市民活動は自民党に近寄りたがらなかったが、それでは法案は通りません。自民党にも積極的にアプローチしました。自民党議員を立てることにも配慮しました。与党案に反対していた新進党の議員にも配慮しました。意見は異なっていて良い、長く付き合うことを前提に、反対議員にも活躍の場をつくってあげることが必要です。争点はあっても敵味方にならない形、また官邸に頼り過ぎないことが重要でした。政府ではなく、市民の代表である議員に情報を渡していくことを意識していました。

堂本氏

 松原さんの熱心さは半端じゃありませんでした。そこで議員側も徹底的に付き合いました。どちらもが必死になる関係を作れた。92年から始まって98年まで6年間の間、市民と議員の二人三脚でNPO法は成立しました。そういう立法プロセスが最近はあまりないのではないでしょうか。

辻元氏

 ちなみに絶対潰したかった名称案は、“奉仕活動促進法”でした。またロビー活動で上手だったのは、全国展開で、地方出身の議員に地元のNPOから働きかける形にしたこと、これは効果があります。地方自治体がNPOと連携していくことが非常に重要です。NPOが地域やまちの政治にコミットメントすることが、発展の鍵になるのではないかと思います。

第2部「市民活動を記録する、アーカイブ化する」

登壇者

*三木 由希子氏
(NPO法人情報公開クリアリングハウス理事長)
*高木 恒一氏
(立教大学教授、立教大学共生社会研究センター長)

本論

 第2部では、市民活動が公文書館に寄贈されることの意味や、市民活動をどう記録し社会的に蓄積するか等についてお話しいただきました。

三木氏

 今日は市民の活動が記録されて公文書になっていくことに、どういう意味があるのかをお話したいと思います。第1部の話を聞きながら、当時のことを思い出していました。それは、NPO法が通ったプロセスは情報公開法と重なっていたからです。そして、法案ができる過程の与党協議は、社民党が辻元さん、さきがけは堂本さんが担当であったからです。
 情報公開法は内閣提出法案で、97年3月に国会に提出され、99年までかかって、国会での修正を経て全会一致で成立しました。NPO法は議員立法として誕生しましたが、閣法との違いは議員立法の場合その過程は国会審議の議事録や国会の事務局の文書以外は公文書として記録に残りません。

 議員のもとにある立法活動の記録が体系的に残りにくい中で、今回のような情報編纂プロジェクトは新しい試みです。議員のもとにある立法記録は、誰かが重要だと思えば残ります。堂本さんは、非常にまめにメモを残している。例えば、理事懇談会は議員だけの世界なので、そこでメモを残していることは非常に重要です。国会では、審議以外の場でも色々な議論が行われています。
 国立公文書館は皇居の向かい側にあって、国の機関、独立行政法人からの移管文書、寄贈文書などを保管し、利用に供するためのものです。国の機関のうち、行政機関は歴史文書の移管義務があり、裁判所は一部の文書について国立公文書館と合意をして移管をしていますが、立法府の記録は立法府自身が移管を決めない限りここでは保管されません。公的な記録以外に、一般からの寄贈を受け入れていますが、どんな記録も寄贈を受け付けているわけではありません。寄贈受け入れ基準は3つあり、NPO法の立法過程の記録は“館が現在保存している資料に記録された情報を補完することができる重要な情報が記録されたもの”に該当すると考えられたので、寄贈に向けた取り組みを行ってきました。

 今回のNPO立法過程の記録の意義は、政治側の資料と市民側の記録の両方があるということです。政治活動の記録は、国立国会図書館への寄贈や衆議院の場合は憲政資料館への寄贈がされることもありますが、政党や議員の立法活動の記録は、どこかに保管しておく義務などのシステム的な担保はありません。多くの場合は、政党の解体、議員の落選など混乱のプロセスで消えていきます。また、記録のつくりかたも人や事務所によってまちまちです。国会は審議以外でも記録が作られますが、衆参両院の記録管理の規則は立法行政文書のみが対象で、審議や調査等の記録である立法調査文書は対象になっておらず、それを管理する明確な仕組みがありません。
 一方、NPO側の立法活動の過程は、立法活動に忙殺されてなかなか体系的には記録が残しにくいところがあります。NPOのリソースはもともと限られており、その中で記録を残すことに割くリソースは現実的にはないです。NPO法の立法過程のシーズの記録を見ていると、当時はFAX中心だったこが結果的に良かった。FAXは送った方と受ける方の双方に残るので、今回は環境が幸いしたこともあると思います。いまの時代はメール中心なので、かなり意識していないとそのアーカイブ化は難しいかもしれません。

 今回の資料は、国立公文書館へ寄贈されると公文書となります。公文書管理法は目的規定で、“民主主義の根幹を支える国民共有の知的資源”として主権者である国民が主体的に活用できるものとして公文書を位置づけており、NPO法の立法過程の記録はみんなのものとなります。そして利用請求権の対象となり、誰でも利用請求をすることができるようになります。
 国立公文書館への寄贈には、負担もあります。記録しているという大前提が必要ですが、加えて資料の整理や編纂とリスト化、内容によってはすぐオープンにできない情報もあるのでその利用の制限の判断など、寄贈までの作業が必要です。また、寄贈後は、誰でも利用請求ができる情報になりますが手続が必要になります。
 寄贈はあくまで手段にすぎません。記録をどのように残すか、どこであれば残せるかなどは、活動しているテーマや人、投入できるリソースによって決まってきます。手段は色々あるので、活動を一度見つめなおすのも良いのではないでしょうか。

高木氏

 社会共生の視点から、市民活動アーカイブを少し引いた視点で考えてみたいと思います。今日のタイトルである「活動を記録する」、その保管保存への考え方の提案です。 立教大学共生社会研究センターは国内有数の市民活動の資料センターであり、公害問題や反対運動まで、様々な資料があります。ひとつひとつは点かもしれないが、市民が社会をつくる歩み、プロセスの記録、研究資源の集積があります。
 ただ、この捉え方に対してはちょっとした違和感があります。固定された情報とユーザーとしての研究者の関係だけではないのではないか、ということです。それは、アカデミズムが学問・研究の枠から脱し、市民科学の立場をより重視することにもつながっていきます。「住民図書館」の活動過程では、国立大学の中に市民活動の資料を入れることへの疑問もありました。しかし、資料を単に固定されたものとして扱うのでなく、「社会」やその認識のための「知識」をも変容させる力を持つものとして捉えることで、市民活動の記録が社会の知識を変革することになっていきます。

 そもそもNPO法の立法過程は、大雑把に言えばすでに市民が活動し社会を変えていたから成立したとも言えます。市民が社会を支えるための仕組みを作らねばならない、市民が社会を変えるんだという活動の成果であると思いますが、官の生み出す常識を問い直すものだったのではないでしょうか。それは、市民の活動が当たり前であるということでした。
 例えば、横浜の新貨物線反対運動では、公共性が問い直されました。公共性のために住宅地の中を路線が通ることを住民が我慢するという考えは正しいのか?地域エゴと公共の福祉がなぜ対立するのか? 地域エゴは公共性と言えないのか? それに対して市民が行動し、公共性とは一体何かを問い直しました。これも僅かですが、知のあり方を確かに変えてきた例であり、そこから記録の意味・意義が見えてきます。 市民運動・活動は目の前の課題に対処するために行っているのであり、記録を残すことは前提にされていません。後世に残し、記録することが一番に来ない中で、資料を保存できるのかという問題があります。
 実は、今の世の中でゴミにされてしまいそうな資料がたくさんあります。例えば60-70年代の市民活動の資料は、本人にとっては宝でもご家族にはそうでもないことは多々あります。これをどのように繋いでいくのか。立教大学共生社会研究センターの保管スペースもあと10年分しか確保出来ておらず、受け入れをここで引き受けることもできません(苦笑)。 これからは地域の資料は地域で残していく、この保管こそが活動の一環になると思います。資料は後から見る身にとってはワクワクするもの。この面白さ、楽しさをつないでいきたいと考えています。

高木氏

 資料の取捨選択は悩ましい問題です。実は現代のアーキビストの仕事は、資料を集めることではなく捨てること。いかに取捨選択して残すのかがポイントです。一般の方は資料を捨てるのではなく、取捨選択せずに時系列に残してもらえれば大丈夫です。後はアーキビストが頑張ります。

三木氏

 国立公文書館に入れるには、かなり資料の編纂も必要となります。自分に対する戒めでもありますが、活動を辿れる記録を残しましょう。

第3部「今後の市民社会に向けて、この資料をどう使っていくか?」

登壇者

*新田 英理子氏
(認定NPO法人日本NPOセンター事務局長)
*中村 国生氏
(NPO法人東京シューレ事務局長)
*関口 宏聡氏
(認定NPO法人シーズ・市民活動を支える制度をつくる会代表理事)/司会

本論

第3部は、現在のNPOセクターでご活躍の3人の方にお話しいただきました。

新田氏

 私が日本NPOセンターに入職した1998年4月には、法律は成立していて各地方自治体での勉強会や市民団体が運用するための働き掛けが最初の仕事でした。今日は、いま私たちが置かれている現状について問題提起をしたいと思います。
 現在5万以上のNPO法人があり、一般社団・財団も3万以上あります。少し古いデータですが、民間企業の数は2012年に500万以上ありました。第1部のお話を聞いて感じたことの一つは、NPO法を制定した時の空気感や必死さが、どれくらい現在活動している方たちに伝わっているかということです。NPO法人の活動に、迷いがあると感じています。
 今のNPOセクターには、課題が3つあると思います。1つは、市民活動をしている人たちがムラ社会的になっていることです。一般社団など市民が活用できる法人格もできましたが、社会的な活動を行う際にそれらが一つになってないことです。2つめは、国民の8割がNPO法人のことを知っているように認知度は高くなっているにも関わらず、活動への参加は少ないというそのギャップです。3つめは、社会の中でNPOは岐路に立っているのではないかということです。今の社会は、活動の多様性と自由さというNPOにとって大切な状況とは逆の環境になりつつあるのではないでしょうか。それに対して、市民活動側が一枚岩になって、「自分たちの行っていることは、こういう活動だ」と言えるのか。歴史から何を学ぶかは、重要なポイントだと思います。 今回の資料を活用するためには、キュレーターによるサポートが必要だと思います。一般の方に資料の価値を伝えるための、二次活用ができないかと思っています。

中村氏

 NPO法人東京シューレでフリースクール事業を行うとともに、フリースクールや学校外の学びを法制度化しようとする「多様な学び保障法を実現する会」で活動をしています。不登校対策には様々な動きがありますが不登校の子どもの数は40年間増え続け、もう制度を変えていくしか無いと考えています。ここ数日、議員立法で今国会での成立に向けて、かなりの佳境に入っていて来ているのですが、私たちは、当時のNPO法制定のプロセスを常に参考にしています。
 立法運動の背景には、不登校やフリースクールのほか、シュタイナー学校、サドベリースクール、外国語学校、ホームエデュケーションなどの多様な学びの場の存在があります。1992年にフリースクールへの出席を学校での出席扱いとする通知が出されたことを受けて、私たちはフリースクールへの通学定期券適用の運動をおこし1993年に実現しましたが、学校外への制度的支援としてはこれが唯一の具体的な成果でした。
 2007年に『教育多様化への提言』をつくりフリースクールの法制化の提言をし、フリースクール環境整備議員連盟が結成され、その結果、高校不登校まで通学定期券が適用されるなど一部拡大されました。その後、フリースクール全国ネットワークをはじめ多様な学びの場で活動する団体が一つになって「オルタナティブ教育法」骨子案を作成し、議連に持ち込みました。カタカナは法律にそぐわないとか、フリースクールをどう定義するのかとか、機関助成は憲法上課題が大きいなど、議員との意見交換を重ね、私たちが一人ひとりの子どもの学習権保障を行っている点に着目し、「子どもの多様な学びを保障する法律」へ建てつけを変更しました。
 政権交代でいったん議連は解散してしまいましたが、再びの働きかけが実って2014年に超党派フリースクール等議員連盟が設立され立法に向けて動き出しました。前国会上程を目指した座長案は「義務教育の段階に相当する普通教育の多様な機会の確保に関する法律」で、義務教育を“多様”に選択できる内容でしたが与野党ともに反対があり、今国会では“多様”をとって、学校外は選べないが「休むこと」「学校以外を認める」という法律案になっています。NPO法で“市民”が落ちた経過と似ています。
 このように、「あくまで学校なんだ」という左右両方の学校中心主義と多様性とのせめぎあいです。松原さんが仰っていたように法の制定後も議員と付き合って改正していくものなので、私たちは“多様”が落ちてでも現実的に制定されることを優先に議論をしているところです。

関口氏

 NPO法が出来た時に私は中学生でした。NPO法は一度制定して終わりではなく、後に8回も改正を行っていること、PDCAサイクルを回し続けていることが評価すべき点だと思います。今年から18歳選挙権が実現しますが、その子たちは、ほぼNPO法と同い年(18歳)です。選挙での投票だけでなく、NPOが行うアドボカシー活動にもどんどん参画して欲しいと思っています。  最後に、皆さんからも一言ずつお願いします。

新田氏

 松原さんのお話しの中で、「議員との信頼関係が大切だ」という部分が印象深く感じました。かつては条例を各自治体でつくろうということで、勉強会を行う都道府県が多かった。今なら、自治体の政治家や行政と議論する場がもっと持てるのではないかと思います。こういう時期に様々な政党の方と議論と対話を行い、信頼関係を築くことが重要だと思っています。主戦場は地域に移っているので、できることをこれから考えたいと思います。

中村氏

 社会課題を解決する際に、制度を変える立法案を思い立ち、その実現に向けた活動をしている団体が出てきています。一方で、NPO側も事業をやっているので運営基盤を整備するチャレンジも必要ではないかと感じています。私自身は、社会の制度を変えていくことで、NPOの活動基盤もまた作っていくことができるのではないかと思います。
 その変化は、議員とともに変えていくことが重要であると感じています。韓国では、「多様な学び」に関する法律ができて教育制度がドラスティックに変わり、今は、地域の条例で大きく進んでいます。国の法律も必要ですが、教育、子育ての問題でも地方自治体、地方議員、条例を意識しながら取り組んでいくことが大切だと思っています。


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